移行前『無職ソラリスの日常』

宇宙一のダメ人間を見て安心してもらうための日記。

【エッセイ】会社見学と結果待ちの日々の末路

 

現無職、会社が嫌になり3月末に辞めて以来無職生活を謳歌し、求職活動しているソラリスです。
思った以上に仕事がなく、約2か月コロナ自粛生活をしていた自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいます。

 

そんな日々の生活で何となく追い詰められながら、今回はとあるIT企業の説明会(というより選考)の様子をエッセイ風に書きました。

 

とある日、初めての会社説明会

 

派遣というものは、通常は会社見学をして、それから採用という形だったらしい。

しかし、今回は会社説明会といわれ、仕方なくスーツを着て向かうことになった。営業担当と駅で待ち合わせしてから行くらしい。

 

私は、朝から鬱々とした気分で会社に向かう準備をしていた。
家からは近くもなく遠くもない、絶妙な距離である。
電車で一時間以内であれば、「日本人なら我慢して通えよ」と言われる距離だ。

 

わざわざ一人暮らしするほどでもないし、実家から通える距離の範囲内で
仕事を探しているので、我慢できる距離ではあった。

英語を使う事務なので、そこそこ英語能力が求められそうだし、しかもそこその大企業であるし、私に務まるだろうかという懸念があった。

そしてその懸念は、的中することになるのだ。

 

雨のなか、電車に揺られ、駅に着くと、まだ30分以上前だった。
私はトイレで時間をつぶし、コンビニに寄る。営業担当が待っているとの
ことだったので、10分程前になり、ようやく渋々電話をかけた。

コンビニを出ると、スーツの男性とともに女性が二人立っていた。

どうやら、既にほかの候補者も一緒に集まっていたらしい。てっきり他の候補者は別々に行くものと思っていたので、既に集まっていることに少し焦った。


私は恐る恐るそれらしき集団に近寄り、営業担当の男性に会釈をした。

他の候補者の女性二人は、見た感じ派手ではなく化粧は地味めだったが、私と違い、もう少し大人びた格好をしているように思えた。

 

なぜなら私が、全身新卒生並みのリクルートスタイルだったからだ。
他の二人は私よりそこそこ年上であることを後で知ることになるのだが、彼女らはパンツスタイルだった。二人とも控えめな縦の縞柄のスーツに白いシャツ、髪型も私のように七三前髪に、後ろで縛ったザ・就活生スタイルではなく、ラフな雰囲気だった。

既に私は浮いていた。

 

さらに、その後喫茶店で自己紹介のやり方や職場の説明を受けたが、二人とも経歴が私よりも華やかだった。

なぜ派遣になろうとしたのだろうかと疑問に思うレベルだった。

私は、こういう女性たちと闘わねばならず、コロナというのは恐ろしいものだと改めて感じた。二人とも、随分転職活動には苦労しているようだった。

 

しかし、私よりかなり英語が得意そうな経歴を持つ二人であったが、フレンドリーで話しやすい雰囲気を醸し出してはいたので、私としては安心していた。

 

一人は韓国語も英語も日本語も話せるとかいう外国人の人(日本人みたいに普通に日本語話せる)で、もう一人は、つい最近まで、半年間カナダに留学していたという人だ。

 

我ながら大分委縮していたが、二人とは合間合間に、結構色々話ができてよかったと思う。

 

私は正直、全然良い感触がなかったので、受かった気があまりしないが、
在宅ワークを推進している会社らしかったので、個人的にはさすが大企業
といった感じだった。

 

受かる気はしなかったものの、候補者の女性の一人の言葉が、
私の中で小骨のように引っかかっていた。

「コロナじゃなければ、見学したら即採用って感じだったろうにね」

たしかに、通常なら派遣を雇うためにわざわざ説明会という名の選考会を開き、誰かを落とすような真似はしないだろう。書類選考さえ通れば、会社見学をしてそのまま採用、という流れが通常のはずだ。

 

二人とも、コロナのせいで就職活動が難航しているようだった。
私よりも明らかに良い経歴なのに、そんなに苦戦するのだったら、私なんて
当然ではないか、となぜか私は安心した。

一人は留学していた頃にTOEICを受けておらず、コロナのせいで受けられなかったことを悔しがっていた。4月に日本に帰ってきたので、私と同じく就活をせざるをえなかったらしい。VISAがとれなかったらしいが、恐らくコロナのせいなのだろう※カナダでTOEICを受けると日本の1万円以上の受験費がかかるらしい。

 

説明会では、私はたいしてアピールができなかったし、完全に負け戦のような気分ではあったが、大企業の包容力的なものを感じていたし、やはり良い人材は大企業に集まるのだなと実感していた。

 

温厚そうな所属部署の上司の一人が今回の説明係、というより面接官だったのだが、話を聞くと、この企業は在宅勤務の社員が多く、派遣も1週間通った後は在宅で働くらしい。

なんとも、大きな会社はすごいなと、改めて思うのだった。

 

……で、明日明後日に営業担当の人から結果を連絡するといわれていたが、結局三日も待たされ、挙句落選である。

 

予想はしていたので、既に別の派遣会社で10社以上応募して紹介してもらっていたのだが、この選考結果を待っていたので迷惑極まりない話であった。

 

「えっと、じつは、××会社の選考の件なのですが……残念ながら今回は他の候補者の方を採るということになりまして……」

 

そんな電話が、18時前にかかってきた。あの営業担当ではなく受付担当から電話が来る時点で落ちているのはわかりきっているし、思っていた以上に申し訳なさそうな声だったので逆に申し訳なくなった。

 

結果を急かすようなメールを送っていたし、昼にもまだ選考に時間がかかると電話をくれた。わざわざ嫌な結果を伝えるために電話をするのも、相当億劫だったに違いない。

 

別に良かった。結果待ちの時間は苦痛だったが、正直私はほっとしていた。英文書の作成とか海外との議会やメールとか、元々荷が重かったし、受かったら頑張らねばと思っていたので力が抜けた。

 

すぐさま、結果が分かったら連絡をくれと言われていた、別の派遣会社にメールしたら即座に返信が来た。

 

来週月曜までに連絡が来るらしい。まさか土日に連絡が来るのではと思うと少々怖いが、それはないと思いたい。

 

あーあ。また待つのか。

 

段々投げやりになってきた自覚はあるが、専門性を求めると求人がなく、都会に行くしかなくなってしまう。それに私には自信がない。

コロナの影響で未経験可の事務ですら経験者にとられるのだから、自分で応募して、近場をとるしかないのだった。

契約社員や正社員の仕事は遠くの方ばかり紹介されるし仕事内容・条件も合わないので、エージェント紹介の求人は現在はあまり見ていない。

 

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来週も転職活動は続きます(遠い目)

では、ありがとうございました!

 

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非正規を下に見る人間が多いが面倒くさいしがらみがないのは良いのではないだろうか。

近年、非正規雇用の割合がかなり高くなっているのは、年金だけでは足りず定年後の高齢者も働いているかららしい。

また、学生もかなりバイトをしている人が多いし、
私が大学生の頃はバイトをしていない人の方が圧倒的に少数派だった。
ただ、これは学部にもよるとは思う。私の学部は必修が英語と体育くらいで、楽単を選び放題だった。
※楽単…単位を取るのが楽な講義のこと。通称「ラクタン」

一応私もバイトしてはいたが、私の場合派遣の倉庫のピッキングや試験監督くらいだ。
解答用紙が何枚か数える際には、「亜入(アイル)」という名前の破壊力に驚いたし、一クラスに「空」くんと「大地」くんが揃っているのを見て得した気分になったのはよく覚えている。
アイルくんは男の子だったと思うが、今どきは変わった名前が多いのだなと妙に感激したものである。

女性も男性も、カタカナ変換が容易な名前が過半数だったのも、なかなか面白かったのだ。
(レイ、レン、リンなど。二文字の名前が多かったのも印象的だった)

残念ながらどんな名前があったかは、あまり覚えていないのだが、アニメに出てくるような名前の方が普通の名前より多いことに私は驚いたのだった。

ただ、試験監督は拘束時間が長いし試験やってる間暇なので、あまりおすすめしない←

 

ちなみに、居酒屋の厨房で少しばかりバイトをしていたことがあったが、
6,7回行って逃げたので二度とあそこには足を踏み入れないだろう(震え声)

 

……私のどうでもよいバイトの話は置いておくとして、学生もバイトをしつつ必死で学費を払いながら生活をしている人も多いし、高齢者も年金では足りず働いている地獄のような国なので、非正規になったら野垂死ぬのではないかと心配になるのも無理はないと思う。

 

ただ、就活に失敗して人生終わりみたいな論調が強い日本の現状は、何というかめちゃくちゃ息苦しいと思う。

私はとりあえず就職はしたものの、二年で辞めているし、社会向いてないことがわかったのでとりあえず就職できてよかったとは思うが、就活に失敗したら絶望するのも無理はないと思うし、自殺率も「無職」の方が圧倒的に多い。

自殺者

 

やはり「無職」はつらいんだなと感じるかもしれないが、現無職から言わせてみると無職ほど楽なものはないと思っている。

 

ただ、私は実家に住んでいるから楽なだけの人なので、私の言に説得力は皆無だし、無職になったらいずれお金に困ると思うので無職になることはお勧めしない出世コースからも外れるし、無職期間が長いほど、転職で給料が減る可能性も上がる

 

ただ、とりあえず非正規で派遣か契約になっておけば、少しは経験値として
見てもらえると思うので、そこから正社員もいけると思う。

 

紹介予定派遣もあるし、正社員前提という求人もある。
ただし、経験がないと紹介予定派遣は難しいので、例えば事務になりたければ事務の求人にエントリーしまくることである。

 

ちなみに、私はエントリーして職務経歴書を見てもらう時点で選考漏れしまくっているし、寧ろ転職エージェントから紹介された契約社員の仕事のほうが3社ほど面接にこぎつけられた。

 

そのうち1社は結果待ちだが、現地に行くのが遠いし実際その仕事をやっているのは主婦ばかりで、しかも筆記試験がボロボロだったので無理だと思う。


また派遣会社で唯一会社見学にこぎつけた会社も、他2人のスペックが高すぎたので無理だと思う。
※一応返事待ちなので、返事が来たらオブラートに包みつつ詳しく書く予定。というか、明日早く返事をしてくれないと困るし、そこが通ったら一応その会社に行くべきかと思っているので本当に早くしてほしい。

 

ちなみに、現在の私は短期の学校事務派遣を紹介されて揺れているが、正直、八月から始まるらしいので、七月の間無職はちょっときついなと思っている。それに短期だし。せめて長期でないと次どこを紹介されるかわからないじゃないか。

 

私はたいして派遣会社を信用していないし、次の仕事をするまでの間に、早く資格を取るか何かしないとやばいと思っているので、あまり短いと正直困るのである。

 

次はコールセンターの可能性も十分ありうるので、今のうちに資格を取らないとと思っている。MOSとかTOEICとか?次の仕事が決まったら、資格何が評価されるか聞いてみようかな~と思う。時給はあげたいし。できれば紹介予定派遣(契約社員か正社員コース)を目指しておきたい。

 

ただ、正社員になりたいのかな~と思うと微妙なので、正直私も何とも言えない。女は結婚すればいいからいいよなと前職で上司にク〇バイスを言われたものだが、私は結婚というものに全く興味がないことは以前にもかいている。

 

sorarisu08.hatenablog.com

 

そんなわけで、結婚に一ミリも興味がないので仕事は続けないといけないし、私は物書きとして生きるからいいんだ!と言ってられないのが現状である。

とはいえ、コロナのせいで現在絶賛買い手市場なので、様子見で派遣の事務になろうと能天気に思っている私だった。

 

では、ありがとうございました。

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円満退職することだけについてはプロ級だったが色々な意味で大失敗だったハナシ

 

こんばんわ。現無職、ちょうど2年で会社が嫌になりコロナ禍で辞めて以来、2カ月間無職生活を謳歌し、転職活動しているソラリスです。
思った以上に仕事がなく、コロナ自粛生活をしていた自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいます。

 

ただ、世の中にはいろんな人がいるし、一応誰にも(表面上は)責められず、そこそこ人手のたりないク〇みたいな仕事を円満に自主退職できたことを全人類に褒めてほしい日々です。

 

そこで、私が円満に自主退職した方法を、皆さんに教えたいと思います。

 

すべて読むのが面倒くさいという人もいると思うので、初めに結論から言います。私が行ったのは、以下の三つです。

 

1まず現場とあまり関わっていない部長に相談(三カ月以上前)
2念のため社長にも直談判
3現場の人には自分からは絶対相談もしないし辞めることを匂わせない

 

この三点を行えば、円満退職できる可能性が上がります。ちなみに、同僚にすら相談しませんでしたので驚かれました(笑)

 

ちなみに、私の場合はシフトが2,3か月前くらいには決まってしまうこともあり、半年前には部長に相談していました。

C&C面談というのがあったのですが、なかなか部長がやってくれないので、直談判したらあっさり全員の面談をやってくれました。

※それにシフトを決めるのも早く、12月初めまでに1~2月の予定を入れる感じでしたね、欠席したい日に×を付けるスタイルでした)

 

 

下記は、私の辞める経緯と辞める際に気を付けたことについて書きました。興味がある方は読んでください。

 

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我ながら、そこそこブラックの部署だったのに、笑顔で送別されたことについては大変ありがたかったですし、何よりコロナのおかげで送別会がなかったのが幸せでした。

 

常にニヤニヤ…でなくニコニコしている嫌味が趣味のようなおじさんに、

「残念だなぁ。送別会でいろいろ話を聞こうと思ってたのに」

と言われたときは、何だこいつと思いましたし、たとえ送別会があっても絶対に「○○したいです」とか、何をする予定かとか、そういう具体的な話は絶対にしなかっただろうと心から思います。

詮索されるのが大嫌いな私にとって、このおじさんを嫌いになるのはもはや必然だったと思います。

もちろん、このおじさんだけのせいではなく、すべての人間を信用できなくなっていたので、私にとっては会社に好きな人間はおらず、嫌いか嫌いでないかのどちらかしかありませんでした。

 

そんなわけで、会社が嫌いだった私ですが、あの会社の良い所は女性陣が大人しめで優しかったことです。

 

……私の部署の女性の先輩を除いて。あの先輩だけは当たりが強く、要領が悪くアホみたいなミスを繰り返す私に嫌気がさしているようでした。

「さっきも言ったよね⁉」

とキレられたことは今でも忘れられないですし、その瞬間は私がいけないのかなと殊勝なことを思ったものですが、初めての作業なのだから、どんなに丁寧に説明されたとしてもバカな私にわかるわけではないかという謎の反骨心はありました。

その作業を任されることは、二度とありませんでした(笑)そして私も絶対にやりたくなかったので志願しませんでしたが、その後配属された別の会社からやってきた上司にもキレていたので、私だけじゃなかったのかと無駄に安心しました(笑)

 

ただ、実はその後その女の先輩は私の頑張りを認めてくださったのか、私があまり深く関わらないようにしつつ細心の注意を払って接していたおかげか、退職する際にはそこそこ円満な関係を築いていました。

 

そのおかげか、退職に対して、その先輩や周りの人から責められることは全くなかったのです‼

 

何かしら嫌味を言われたり陰口を言われたりは想像していたのですが、そんなことは全くなく、私の前であからさまに態度を変えられるといったこともありませんでした。

※陰で言われてたかもしれませんが、私は真面目で天然な人間だと思われていましたし、そんな子が辞めるというのだから仕方がないといった風潮でした!エセ真面目キャラはこういう時に役立ちます(笑)

 

ちなみに、私が責められなかった要因としては、私が本来は本社の開発職に配属予定だったのを、運用部署に勧誘されて私が日和ってしまい、本社を蹴ってまで入ってきた人間だったからというのもあります。

 

SEとしてやっていけるか不安で、一人だけ本社に行くことも弱腰だった私は、運用部署にいたほうがみんなと一緒にいられるから良いのでは?と思い、そこに残る決断をしました。

 

ただ、どう考えても、私は開発に行くべきだったと思います。

 

あの頃の不安でいっぱいだった私は、逃げるように運用部署に入りましたが、私はあの頃執拗に誘ってきたあの上司を、今でも恨んでいるのです。

 

なぜなら、運用は、そこそこ人手のたりない部署だったので、人手不足の埋め合わせのために引きずり込まれたようなものだったからです。

 

もちろん、そのあとでも開発に行けばよかったかもしれませんが、私には会社への信用もやる気もかけらもなかったですし、本社の人たちと仲良くやっていく自信もないし、実際部長から紹介された部署は、ヘルプデスク担当というカ〇みたいな仕事でした。

※ヘルプデスクは時折かかってくることがありましたが、SEに頼む際になんで俺が~と必ず言われるし嫌がられる仕事なので、頼む方も神経が磨り減るし怖いし面倒くさかったのです(笑)

 

初めから本社に行って開発に行っていれば、そんなカ〇みたいな部署を紹介されることもなく、普通に開発職として頑張れていたかもしれないと思うと、後悔はしています。

 

ただ、どうせ本社に行ってもすぐにやめていただろうという気はしますし、寧ろ簡単に心が揺らぐような弱虫だった私が本社に言っていたらノイローゼになっていたかもしれません。

 

心の傷というのは、たとえ休職しても、癒されることはありません。

 

一生残るものです。治すには、たくさんの時間が必要でしょう。あの頃、運用に行くことを選ぶ弱かった私に、本社に行く資格はなかったのでしょう。

 

私のような不安でいっぱいという顔をした人間を誘い込んだ上司が一度、申し訳なさそうに私に謝ったことがありますが、その上司が、辞めるときに私に全然話しかけなかったのは、責任を感じていたのだろうと思います。

 

ちなみに、その上司は私が在職中にやらかして捕まったりもしているのですが、そのせいで精神薬飲んでたのかなとか、既婚なのに私を口説くようなことを言ってきたりしたのかなとか、いろんなことを思うわけです。

 

そんな部署だったので、配属されて初日で後悔していたあの頃の私ですが、そんな私は円満退職するべく、約半年前から行動を起こしていました。

その頃はコロナの影響でここまで最悪な事態になるとは欠片も思っておらず、去年の九月には、部長に相談してC&C面談というものを行ってもらいました。

※この面談、通常は年一回あるのに今年はなかなかやらないという話を先輩に聞き、慌てて打診したわけです。

 

C&C面談とはキャリアカウンセリングのことです。私は、普段かかわりのない温厚そうな部長に、辞めたい旨について話しました。

 

「まあ、騙されて入ったんだもんね(笑)確かにあそこはそうだよね~」

 

といったことを言われました。私は笑って流しましたが、だったら止めてくれればよかったのにと思わずにはいられないし、

私は「運用に入れば運用のことも考えた設計ができるようになる」とか「色々全体のことが分かるように教えてやる」とか「前は新人はまず運用に配属されてから開発に行ってた」とか、うまいこと言って私をだましたあの人のことは忘れないと思います。

 

そんなわけで、部長からはほかの運用部署の人には話さないという条件付きで、来年3月退職の許可を得ました。

 

また、私はこの部長だけでは信用できず、社長面談の申請をして、社長にも相談しました。

社長は、もう少し続けられないかと言ってくれましたが、口調は終始優しくて温厚な人で、私はこの人のことは好きでした。

 

部長は、基本部署の問題のことについては見て見ぬふりで何もしてくれませんでしたが、社長や部長の助けを得て、私は円満退職に成功したのです。

 

たぶん、私に対する負い目があったのでしょう。実はその後部長は私に内緒で二人の上司(私を誘った人含む)にも話していたそうですが、本当に何も言われなかったので、助かりました。

 

部長は、私がかわいそうだから引き留めたりするなと念押ししてくれたそうでした。

なので、私が部署の人たちにやめることを明かしたのは今年の1月あたりでした。シフトが三か月前くらいに決まるので、どうしてもばらさないわけにいかなかったのです。

 

ただ、本当に私の所属していた部署すべての人に伝わったのは2月の中旬当たりでした。

たぶん、他の部署の人たちは最後まで知らないような人もいたと思います。結局、挨拶もしなかったので。

 

他にも定年退職する人もいたため、皆の前であいさつさせられそうになったのですが、怖かった女の先輩が

「別に無理にあいさつしなくてもいいんじゃないですか?メールで済ませればいいですよ」

と言ってくれたおかげで、私は難を逃れました。

思えば、怖かったですが私に対して気を遣ってくれようとしていたし、先輩なりに私には優しくしようとしてくれていたので、最後は優しかったなと思います。

 

全てが悪かったわけではなく、日々アラーム音が毎日のように鳴り響く中で、溜まっていった鬱憤があっただけで、そこまで悪い人間関係ではなかったなと、当時も思っていましたし、今も思います。

 

他部署に異動しなかったのは、経理はブラックと同僚にlineで言われたり、部長から紹介されたのがヘルプデスクだったりで、めちゃくちゃ嫌だったからですが、異動願いを出さなかったことについては、特に後悔はしていません。

 

私が円満退職できたのは、一重に、現場の人には絶対に言わなかったからです。

 

こちらの記事は、万が一前職の人に見られたら気まずいので、暫くしたらもう少し加筆してnoteにて有料記事にするかもしれません。

(運用部署のこととか、上司の逮捕問題とか、少しだけ加筆しようかなと考えているところです。買ってもらえるかはわかりませんが。もし買っていただいたら、コメントでもう少し突っ込んだ質問にも答えられる範囲で答えたいと思います。会社名等は出せませんが……)

 

はてなブログの方ではこの記事は削除する予定です。

 

 

 

 

では、ありがとうございました!

 

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私より『不真面目』な人間はいないので、読者に安心してもらうためのエッセイを書いてみた。

 

私が不真面目なのは、どうしてだろう。

 

時折、思うことがある。私は誰よりも不真面目だ。なぜ会う人会う人が、私を総じて『真面目』と評価するのか、理解に苦しんでいる。

彼らは『真面目』という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。さして深く考えたことはないだろう。それなのに、皆私をさして真面目という。

 

だから私は、真面目とは何かについて、考えてみようと思う。

 

1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

上記の意味は、goo辞書から引用した『真面目』の意味である。これだけみると、真面目という言葉は、素晴らしい言葉のように思える。けれど私は、真面目という言葉をあまり良い意味で言われたことがないのである。

 

直接面と向かって、人が私に言う「真面目」という言葉は、大抵「不器用」「堅物」「ノリが悪い」「絡みずらい」「頑固」「変なこだわりがある」といった意味が込められていたように思う。

 

特に「ノリが悪い」「絡みずらい」に関しては、本当にその通りだと思う。誰かが冗談を言っても私は碌な反応ができず愛想笑いもできないので、「この子には冗談が通じない」と思われる。

 

いつも、正しい正解を教えてほしいのに、正解を誰も教えてくれないのだ。

無理に笑おうとしても顔が引きつるし、

「ほら、○○さん困ってるじゃん(笑)」

なんて言われたことが多々ある。

 

このセリフを聞くたびに、私は困っているんじゃなくて、どう反応すればよいかわからなくて固まっているだけだと脳内で叫んでいるが、誰も理解してくれない虚しさがあった。

現に、困っているわけではあるが、私は誰かに冗談を言われたらサラッと対応できるスマートな人間に憧れていたし、誰かと普通に冗談を言い合える仲になりたいと昔から思っていた。

 

けれどそれを諦めたのは、いつからだったろうか

 

私は、ともかくイベントごとが苦手なのだ。体育祭、文化祭、修学旅行、合宿、合唱コンクールなどなど。

学生時代はイベントごとが近づくたびに憂鬱になり、そういうものを楽しめる人に憧れていた。ただ、友達作りさえ上手にできなかったあの頃の私に、一緒に楽しめる誰かがいないと成り立たないイベントを、楽しめというほうが無理だったのかもしれない。

 

あまりに会話がうまくできず、三人以上集まると途端に黙りこくっていた中学時代。

部活が辛くて部活仲間のノリも理解できなくて固まっていた高校時代。

サークルの合宿が年四回もあるのが辛すぎて練習も行きたくなくなり一年で辞めた大学時代。

 

つまり、私には碌に青春を謳歌した試しがなかったこともあり、寧ろ私が「真面目」と言われ続けていることですら、コンプレックスの一部となっているのだ。

 

ここで、現在の私の状況を振り返ってみると、いかに私が不真面目かがわかると思う。

 

現無職。会社が嫌になりコロナ禍のなか3月末に辞めて以来、無職生活を約二か月謳歌し、その間資格勉強をしつつ家事手伝いをして日々を過ごす。
家族は誰も咎めないし、「コロナなんだからもう少しゆっくりすれば?」ぐらいに言われていた。
しかし、転職活動を始めてみると、思った以上に仕事がなく、ブランクについてもエージェントより不利になると指摘を受けて落ち込む。
二か月ほどコロナ自粛生活をしていた能天気な自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいる最中である。

 

ちなみに、私は落ち込みはしたものの、過去は変えられないし、現在は二か月も休めてラッキーだったなと思っている。あまり反省はしていない。

第一、日本企業に所属して二か月も休めることなんてないわけで、病気にでもならない限り休職もできない。

 

私はこの空白の二か月のせいで碌な求人にありつけないにしても、我が家には発達障害の兄弟もいるし、あまりできないことに関して咎める人はいないのだ。

 

できないなら仕方がない、というスタンスであるし、怖い親も兄弟も親戚もいない。

私が無職になることにためらいがなかったのは、そういう実家に守られていたからで、現に数年無職の兄弟もいるのだから、私がちょっとくらい休んでも別にいいや精神なのだ。

 

ちなみに、私は

「私も発達障害かもしれないよ」

と言っても、誰も取り合ってくれないし、私まで障害があったら母の心労も増えるだろうと思うから、多分私は精神科には行かないだろうと思う。

 

私自身も、多分違うだろうとは思いつつも、少なくともHSPである可能性は非常に高い。

他人よりも繊細な気質なのがHSPの特徴らしいが、HSPは生まれ持った気質であり病気ではないので、治療の方法はないようである。​

 

 

こちらのhana(ヨシザワ ハナ)様のnoteが大変分かりやすかったので、引用させていただく。

 

こちらに、HSP診断チェックシートというものがあった。私は残念ながらほとんどすべて当てはまったし、寧ろこれは日本人の特徴をあげたシートではないのか?と疑うレベルだったので、私にとってはほぼすべて当てはまるのは当然のことと思えるくらいだ。

 

できれば読者の皆さんにもやってほしいくらいだし、すべて当てはまるのが当たり前でないことに私は驚いている。

 

じつは五人に一人はHSPと言われているらしいが、私はほぼ全員HSPではないかと疑ってしまう。日本人は神経質だったりマメだったりする人が多い気がするし、元来、全員真面目気質ではないのかと思うからだ。

 

現に、「過労死」という言葉は日本で生まれている。

 

他国でこれほど仕事に苦しみながら自分の首を絞め続けている国は他にあるのだろうか?と思う。twitterでは仕事に対する愚痴を見かけないことはないし、皆嫌々仕事をしているのに、自分を叱咤して続けている。

 

それが偉いという風潮は、不真面目な私には、なんとも生きづらくて仕方がない

三年以内離職率が約三割ときいても、寧ろ七割の人が続けられることに驚いているのだから。

 

新卒の頃も、私は三年以上仕事を続けられるかどうか懸念していたが、やはり無理だったので、私の勘は当たっていた。

 

ここまで書けば、もう私を『真面目』と思う人はいないだろう。

 

寧ろ軽蔑されたかもしれない。

でも、それでもいいのだ。私は実家に頼らず生計を立てるつもりではあるし、非正規でも派遣は時給が結構高いので全然ありだと思っている。

 

年金は払えと言われているので仕方なく払っているものの、この世にいないかもしれないのに、払う意味ってあるのだろうかと思ってしまう今日この頃である←

 

※私は基本、健康診断とかは別にいらないと思っているし、むしろ病気になったらやっとお迎えが来たかと思うし、認知症になったら迷惑かけるだろうから死を選びそうな人間なので、クズと言われても仕方がないのだ。

 

 

では、ありがとうございました。こんなダメ人間ですが、こいつよりマシだと思って生きてもらうために日々書いています。

 

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涙はこころの処方箋


大人になって、涙を流す機会が増えたように思う。

社会の厳しさを知って辛くなったのか悲しくなったのか、寧ろ学生時代よりも弱くなってしまったような気がする。

 

 

twitterでバズっていたツイートだが、皆「逃げたい」という気持ちがあるのだろう。けれど、少しくらい辛くても逃げてはいけない、

折角『良い』会社に入ったのだから、

正社員になれたのだから、

辞めても次がないのだから。

 

そうやって、仕事=お金のなくなる恐怖におびえて、日々暮らしている。

 

私が好きな本に、

「……そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。
私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして、世の中の人に快適な
旅をしてもらうために働いているんだ」
▶「あなたの人生が変わる奇跡の授業」(比田井和孝・美恵)

というセリフがある。

これは社長になった男が、元作業員の仲間に「10年前は一緒に、50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。きみも変わったね」といわれ、返した言葉である。

 

元々10年前は日給50ドルで働く作業員だったが、片や社長、片や作業員のまま

 

心の持ちようで、それだけ差が開いてしまったという話で、私は何となく、お金のために働くことの虚しさのようなものを感じた。

 

50ドルのために働いていたら、本当に50ドルしかもらえない人生になってしまうのだ。

耳が痛い話だと思ったが、なかなか、痛烈に、お金のためではなくて、世のため人のために働く方が、少なくとも気持ちは惨めにならないような気がした。50ドルのために働いていたら、50ドルの仕事しかしないのだ。

 

「仕事=お金のなくなる恐怖におびえて、日々暮らしている。」

 

今の社会は、たぶんこうなのだ。全員が全員こうではないが、世のため人のために働くなんて堂々と言える人は、きっとあまりいないだろう。

 

だから、何だか殺伐としていて、通勤電車にも負のオーラが漂っているのではないかとさえ思う。
肩が触れただけで苛立つような、そんな恐ろしい『何か』があるように思う。

 

最近、私は無職なので通勤電車に乗っていないが、満員電車の息苦しさは、生命力とか胆力とか、そういうものを根こそぎ奪っていくような感覚がある。

 

慣れてしまえば、心を閉じるのは簡単かもしれない。

ただ、もし皆がお金のためではなく、自分の仕事で助かる『誰か』のことを思い、誇りを持って働ければ、もう少しだけ、社会は明るくなるような気がした。

私もきっと、嫌いな会社のためではなくて、それを使う『誰か』や社会のためだと思って働ければ、もう少し、明るい気持ちで働けたかもしれない、
と思う。

 

**********

ところで、言葉について、私はとある発見をした。

言葉というのは、殺傷力があるものだ。

 

一言で傷つきもすれば、嬉しくもなる。私はつい最近、とある言葉に傷ついた。

 

「だからなに?」

 

たった五文字。ただたった五文字の言葉で、私の涙腺が歪んだ。言葉は凶器だ。殴らずとも人を殴れる。しかも殴る側は痛くもかゆくもないし、傷つけたことにも気づかない。

 

言い方もそうだ。低い声で面倒くさそうに言う。それだけで、思っていたような反応とは真逆の反応をもらった私の心は揺らぎ、過去に言われたあんなことやこんなことまで、思い出す。

 

相手が誰であろうと、この五文字は、そこその殺傷力がある。

これを読んだ皆さんは、言葉の殺傷力について、今しがた考えてもらいたいと、切に願う。

 

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お読みいただき、ありがとうございました。

敬語だったり「だで・ある調」だったりしますが、どちらも好きなので、気分によって変わる人です。

 

 

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発達障害の兄弟と私

 

 

私には、自閉症の兄弟がいる。

 

私とは性別が違う。彼はもう何年か引きこもっている。外へ出る時は、図書館に行くかアニメのイベントのときくらいである。

 

私は、彼と私は似ていると思っていた。

学生時代浮いていた私は、彼と私を結びつけられるのが嫌だった。それは彼も同じだった。

なぜか、公言していなくとも、一緒の学校に通うとバレるものだった。同じ学校に通う期間は一年だけだったが、それでも、私が彼に迷惑をかけているような気分で、彼と自分を結びつけられるのが、何となく嫌だった。

 

「ねえ、きみ、〇〇くんの妹でしょう?」

 

中学の頃、部活の先輩に言われたセリフを、今も覚えている。綺麗な人だった。いつも笑顔で、スクールカースト上位にみえて、話しかけるのもおこがましいような気がしていた。

 

当時の私は、学校が嫌いだった。小中高と、勉強を一生懸命するということを自負にして通っていたように思う。いや、真面目であることが私の矜持だった。だから学校をサボるということは、一度もしなかったと思う。一度くらいはあったかもしれないが、私は嫌なことは忘れる主義だから、学生時代の記憶は薄いのだ。

 

どんなに嫌な授業でも、授業には出ていた。授業が嫌だから逃げたら、ずっと逃げないといけない人生になる気がしていた。音楽の発表とか、議論とか、体育とか、人前に出たり競ったり力を合わせたりするのが、どうにも嫌だった。

 

けれど学校は、今思えば、うまく馴染めば楽だったように思う。今なら学校と言う場所があんなに怖くはない。

勉強さえすれば、一応許されるし、友達は選べる。必要以上に関わらなければ、標的にされることもない。

 

私がそう思えるようになったのは、傷つきながら無駄に力んで頑張っていた過去の自分がいるからだ。辛かった部活も、自分が抜けたら迷惑をかけることがわかっていたから続けられたのだ。部活があるから、当時あまり好きでない仲間とも、綱渡りするように関わっていた。今どうしてるかなんて、知らない。

 

社会は、学校よりも難しい。

 

そんな社会で、私よりも人と関わることが難しい彼が、働いていくのは難しい話だった。

就職活動のときに、彼が障がいだと知っていたら、常人と比べられて傷つく前に障がい者雇用で共に探せたかもしれない。

 

彼は普通に話せるし勉強もできた。けれど、あまり人と関わろうとしなかった。家族と一緒にいる時も、あまり自分のことを話さなかった気がするが、就職活動を辞めてから、更におかしくなったような気がする。

 

軽率に、「いい加減仕事したら?」とか、「障がい者雇用ならもっと良いところ行けるよ」とか、そういう無責任なことを言えば、きっと怒るだろうし、更に心を閉ざすかもしれない。

 

彼が自分から話しかけるのは、私か母だ。父や他の男兄弟のことは嫌っている。

 

なぜかは、わかる。

彼らはまるでわかっていない。何となく人をイライラささるような言動をしているし、私自身もイライラしている。

 

それに気づいていないことが、一番の問題なのだ。彼はよく彼らに対してキレていたし、私は何が彼をキレさせたのかもすぐにわかった。

 

人を気づかぬうちに煽っている。おどけたような話し方を、ユーモアと履き違えている。相手が触れられたくない部分に触れていることに気がつかない。そういう言動をしたときは、あまりイライラを隠しもせずに言い返してはいるが、無駄に思えたら何も言わないし沈黙で表す。

 

人を変えるのは難しいし、気づかせるのも骨が折れる。往々にして、そういう人間のほうが稼いでいるし、実際そうなっている。繊細であればあるほど、働くことに向かないようだ。

 

自閉症の彼は、気を遣わないと難しい。彼自身も、話をする時に気遣っている気配がある。だから私は、ここで間違えてはならないと思っている。

 

急いてはことを仕損じるってやつだ。

 

ずっとこのままではいられないことは、きっと彼も気づいている。

 

いつもアニメやゲームばかりの彼が変わるきっかけは何だろうと、見守りながら糸口を探すしかないのだ。

 

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自閉症と書きましたが、現在は自閉スペクトラム症と呼ばれているみたいです。自閉症の兄弟と書いたのは、あまり詳しく書きたくなかったからです。

 

www.e-healthnet.mhlw.go.jp

 

身バレ防止のために詳しくはかけませんが、彼に変わってほしいという気持ちがあるので、行動してはいます。

もう少し、人と関わる方向に向けばよいと思いますが、あまり人と接しない仕事の方が向いているだろうと思います。

 

※詳しいことは、身バレすると困るのでnoteの有料記事でこっそり書こうかと思います。父や他の兄弟のこと嫌っていそうな書き方してますが嫌いではないです。

 

それでは、ありがとうございました。

 

note.com

 

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【エッセイ】外面の私と内面の私

 

人は常に仮面をかぶっている。

 

どこかで聞いた言葉だ。人間は当然のごとく誰かと接するときには、その人専用の仮面をかぶるのではないだろうか。

仮面の種類はきっと数千種類に及ぶが、仮面の系統は一人ひとり異なり、その人特有の型があるのだ。

 

誰に会っても同じ評価を得るのは、きっと別の仮面でも、系統が同じだから。

なかには、人により評価が変わる人間もいて、仮面を百面相のごとく変化させられる。

そんなに器用な人間にはなれないから、皆誰かには好かれ、誰かには嫌われる。

 

誰にでも好かれる人間は、いない。

けれど、狭いコミュニティーで上位層にいれば、表面上でも人から好かれる。

 

 

家庭と外とで態度が全然異なる人間が多いのは、ある種当たり前のことだと私は思う。

外面と内面は異なるし、外では出せない素の部分を、家では出せているのだろう。安らぎを求めて家庭を作り、安定を求めて外で働く。

 

しかし仮面が割れれば、自らに潜む醜悪な「こころ」が露になる。

 

人は社会で暮らし家庭を円満にするべく、常に仮面をしていると仮定すれば、仮面が割れれば人としての人格が壊れてしまうのではないだろうか。

 

人のなかには、守らなければならない秩序や、出してはならない欲望がある。

欲望のままに万引きをしてはいけない、

怒りのままに人を殴ってはいけない、

嫉妬にかられて嫌がらせをしてはいけない、

身体が求めるままに暴飲暴食をしてはいけない。

 

仮面という名のリミッターが壊れれば、人は人の欲望のままに、誰かを傷つけ、自分を傷つける。

そうしてきっと、後悔する。誰かのために何かをするということは、自分の欲望を制御して相手に与えるということだ。

 

仮面は修復することができる。

人はいくらでもやり直せる。

人を変えることは難しいが、自分を変えることはできる。

 

私はよく「真面目」といわれる。外面の私は、きっと「真面目」なのだろう。会話にも文章にも外見にも、にじみ出る「何か」があるのだろう。

 

私の外面は、きっと今は「真面目」なのだ。それはいつか変わるかもしれないし、一生変わらないかもしれない。

 

私の内面は、未だ子どものように臆病で脆い。怖いから、人を傷つける。きっと、どんなに強そうにみえる人間も、怖いから誰かを傷つけて、自分を保とうとしているのだ。

 

人は皆、仮面をかぶっている。

 

心の内側を隠して、笑っている。

 

誰もが持つ嫉妬や怠惰などの7つの欲求を、社会のルールによって抑え、自らを保っている。

 

出会う人が変われば、環境が変われば、人は変わると、私は思う。

 

環境を変えても、意味がない。そういう人が多いし、その言には不思議と説得力がある。

 

たしかに、そうかもしれない。逃げるなと避難されるのは、仕方がないかもしれない。

 

けれど私は、たとえ与えられた場所で一生懸命投げ出さず生き続けることが、本当に正しいことだったとしても、逃げてもいいんだと、言い続けるだろう。

 

たとえ、あなたはもっと頑張れたのでは?環境を変えても意味ないのでは?誰にそう言われても、それが真実だとしても、それは違うと言い続けるだろう。

 

逃げてもいいのだ。

 

次は、もっと頑張れる。

 

新しい仮面を、また作ろう。