移行前『無職ソラリスの日常』

宇宙一のダメ人間を見て安心してもらうための日記。

円満退職することだけについてはプロ級だったが色々な意味で大失敗だったハナシ

 

こんばんわ。現無職、ちょうど2年で会社が嫌になりコロナ禍で辞めて以来、2カ月間無職生活を謳歌し、転職活動しているソラリスです。
思った以上に仕事がなく、コロナ自粛生活をしていた自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいます。

 

ただ、世の中にはいろんな人がいるし、一応誰にも(表面上は)責められず、そこそこ人手のたりないク〇みたいな仕事を円満に自主退職できたことを全人類に褒めてほしい日々です。

 

そこで、私が円満に自主退職した方法を、皆さんに教えたいと思います。

 

すべて読むのが面倒くさいという人もいると思うので、初めに結論から言います。私が行ったのは、以下の三つです。

 

1まず現場とあまり関わっていない部長に相談(三カ月以上前)
2念のため社長にも直談判
3現場の人には自分からは絶対相談もしないし辞めることを匂わせない

 

この三点を行えば、円満退職できる可能性が上がります。ちなみに、同僚にすら相談しませんでしたので驚かれました(笑)

 

ちなみに、私の場合はシフトが2,3か月前くらいには決まってしまうこともあり、半年前には部長に相談していました。

C&C面談というのがあったのですが、なかなか部長がやってくれないので、直談判したらあっさり全員の面談をやってくれました。

※それにシフトを決めるのも早く、12月初めまでに1~2月の予定を入れる感じでしたね、欠席したい日に×を付けるスタイルでした)

 

 

下記は、私の辞める経緯と辞める際に気を付けたことについて書きました。興味がある方は読んでください。

 

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我ながら、そこそこブラックの部署だったのに、笑顔で送別されたことについては大変ありがたかったですし、何よりコロナのおかげで送別会がなかったのが幸せでした。

 

常にニヤニヤ…でなくニコニコしている嫌味が趣味のようなおじさんに、

「残念だなぁ。送別会でいろいろ話を聞こうと思ってたのに」

と言われたときは、何だこいつと思いましたし、たとえ送別会があっても絶対に「○○したいです」とか、何をする予定かとか、そういう具体的な話は絶対にしなかっただろうと心から思います。

詮索されるのが大嫌いな私にとって、このおじさんを嫌いになるのはもはや必然だったと思います。

もちろん、このおじさんだけのせいではなく、すべての人間を信用できなくなっていたので、私にとっては会社に好きな人間はおらず、嫌いか嫌いでないかのどちらかしかありませんでした。

 

そんなわけで、会社が嫌いだった私ですが、あの会社の良い所は女性陣が大人しめで優しかったことです。

 

……私の部署の女性の先輩を除いて。あの先輩だけは当たりが強く、要領が悪くアホみたいなミスを繰り返す私に嫌気がさしているようでした。

「さっきも言ったよね⁉」

とキレられたことは今でも忘れられないですし、その瞬間は私がいけないのかなと殊勝なことを思ったものですが、初めての作業なのだから、どんなに丁寧に説明されたとしてもバカな私にわかるわけではないかという謎の反骨心はありました。

その作業を任されることは、二度とありませんでした(笑)そして私も絶対にやりたくなかったので志願しませんでしたが、その後配属された別の会社からやってきた上司にもキレていたので、私だけじゃなかったのかと無駄に安心しました(笑)

 

ただ、実はその後その女の先輩は私の頑張りを認めてくださったのか、私があまり深く関わらないようにしつつ細心の注意を払って接していたおかげか、退職する際にはそこそこ円満な関係を築いていました。

 

そのおかげか、退職に対して、その先輩や周りの人から責められることは全くなかったのです‼

 

何かしら嫌味を言われたり陰口を言われたりは想像していたのですが、そんなことは全くなく、私の前であからさまに態度を変えられるといったこともありませんでした。

※陰で言われてたかもしれませんが、私は真面目で天然な人間だと思われていましたし、そんな子が辞めるというのだから仕方がないといった風潮でした!エセ真面目キャラはこういう時に役立ちます(笑)

 

ちなみに、私が責められなかった要因としては、私が本来は本社の開発職に配属予定だったのを、運用部署に勧誘されて私が日和ってしまい、本社を蹴ってまで入ってきた人間だったからというのもあります。

 

SEとしてやっていけるか不安で、一人だけ本社に行くことも弱腰だった私は、運用部署にいたほうがみんなと一緒にいられるから良いのでは?と思い、そこに残る決断をしました。

 

ただ、どう考えても、私は開発に行くべきだったと思います。

 

あの頃の不安でいっぱいだった私は、逃げるように運用部署に入りましたが、私はあの頃執拗に誘ってきたあの上司を、今でも恨んでいるのです。

 

なぜなら、運用は、そこそこ人手のたりない部署だったので、人手不足の埋め合わせのために引きずり込まれたようなものだったからです。

 

もちろん、そのあとでも開発に行けばよかったかもしれませんが、私には会社への信用もやる気もかけらもなかったですし、本社の人たちと仲良くやっていく自信もないし、実際部長から紹介された部署は、ヘルプデスク担当というカ〇みたいな仕事でした。

※ヘルプデスクは時折かかってくることがありましたが、SEに頼む際になんで俺が~と必ず言われるし嫌がられる仕事なので、頼む方も神経が磨り減るし怖いし面倒くさかったのです(笑)

 

初めから本社に行って開発に行っていれば、そんなカ〇みたいな部署を紹介されることもなく、普通に開発職として頑張れていたかもしれないと思うと、後悔はしています。

 

ただ、どうせ本社に行ってもすぐにやめていただろうという気はしますし、寧ろ簡単に心が揺らぐような弱虫だった私が本社に言っていたらノイローゼになっていたかもしれません。

 

心の傷というのは、たとえ休職しても、癒されることはありません。

 

一生残るものです。治すには、たくさんの時間が必要でしょう。あの頃、運用に行くことを選ぶ弱かった私に、本社に行く資格はなかったのでしょう。

 

私のような不安でいっぱいという顔をした人間を誘い込んだ上司が一度、申し訳なさそうに私に謝ったことがありますが、その上司が、辞めるときに私に全然話しかけなかったのは、責任を感じていたのだろうと思います。

 

ちなみに、その上司は私が在職中にやらかして捕まったりもしているのですが、そのせいで精神薬飲んでたのかなとか、既婚なのに私を口説くようなことを言ってきたりしたのかなとか、いろんなことを思うわけです。

 

そんな部署だったので、配属されて初日で後悔していたあの頃の私ですが、そんな私は円満退職するべく、約半年前から行動を起こしていました。

その頃はコロナの影響でここまで最悪な事態になるとは欠片も思っておらず、去年の九月には、部長に相談してC&C面談というものを行ってもらいました。

※この面談、通常は年一回あるのに今年はなかなかやらないという話を先輩に聞き、慌てて打診したわけです。

 

C&C面談とはキャリアカウンセリングのことです。私は、普段かかわりのない温厚そうな部長に、辞めたい旨について話しました。

 

「まあ、騙されて入ったんだもんね(笑)確かにあそこはそうだよね~」

 

といったことを言われました。私は笑って流しましたが、だったら止めてくれればよかったのにと思わずにはいられないし、

私は「運用に入れば運用のことも考えた設計ができるようになる」とか「色々全体のことが分かるように教えてやる」とか「前は新人はまず運用に配属されてから開発に行ってた」とか、うまいこと言って私をだましたあの人のことは忘れないと思います。

 

そんなわけで、部長からはほかの運用部署の人には話さないという条件付きで、来年3月退職の許可を得ました。

 

また、私はこの部長だけでは信用できず、社長面談の申請をして、社長にも相談しました。

社長は、もう少し続けられないかと言ってくれましたが、口調は終始優しくて温厚な人で、私はこの人のことは好きでした。

 

部長は、基本部署の問題のことについては見て見ぬふりで何もしてくれませんでしたが、社長や部長の助けを得て、私は円満退職に成功したのです。

 

たぶん、私に対する負い目があったのでしょう。実はその後部長は私に内緒で二人の上司(私を誘った人含む)にも話していたそうですが、本当に何も言われなかったので、助かりました。

 

部長は、私がかわいそうだから引き留めたりするなと念押ししてくれたそうでした。

なので、私が部署の人たちにやめることを明かしたのは今年の1月あたりでした。シフトが三か月前くらいに決まるので、どうしてもばらさないわけにいかなかったのです。

 

ただ、本当に私の所属していた部署すべての人に伝わったのは2月の中旬当たりでした。

たぶん、他の部署の人たちは最後まで知らないような人もいたと思います。結局、挨拶もしなかったので。

 

他にも定年退職する人もいたため、皆の前であいさつさせられそうになったのですが、怖かった女の先輩が

「別に無理にあいさつしなくてもいいんじゃないですか?メールで済ませればいいですよ」

と言ってくれたおかげで、私は難を逃れました。

思えば、怖かったですが私に対して気を遣ってくれようとしていたし、先輩なりに私には優しくしようとしてくれていたので、最後は優しかったなと思います。

 

全てが悪かったわけではなく、日々アラーム音が毎日のように鳴り響く中で、溜まっていった鬱憤があっただけで、そこまで悪い人間関係ではなかったなと、当時も思っていましたし、今も思います。

 

他部署に異動しなかったのは、経理はブラックと同僚にlineで言われたり、部長から紹介されたのがヘルプデスクだったりで、めちゃくちゃ嫌だったからですが、異動願いを出さなかったことについては、特に後悔はしていません。

 

私が円満退職できたのは、一重に、現場の人には絶対に言わなかったからです。

 

こちらの記事は、万が一前職の人に見られたら気まずいので、暫くしたらもう少し加筆してnoteにて有料記事にするかもしれません。

(運用部署のこととか、上司の逮捕問題とか、少しだけ加筆しようかなと考えているところです。買ってもらえるかはわかりませんが。もし買っていただいたら、コメントでもう少し突っ込んだ質問にも答えられる範囲で答えたいと思います。会社名等は出せませんが……)

 

はてなブログの方ではこの記事は削除する予定です。

 

 

 

 

では、ありがとうございました!

 

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